妊娠・出産体験は、十人十色。奇跡の出産には、それぞれ違ったドラマがあります。今回は、32歳で第一子である男の子を出産したというMさんの体験談です。
結婚7年目で妊活スタート
あのときの私は31歳でした。仕事もキャリア的に落ち着き、ここでブランクを入れても問題ないだろうと思い、「そろそろ子供を産もう!」と夫婦で決めました。結婚7年目のことでした。
今考えると無謀だし、無知すぎるし、そしてとてもラッキーだったと思います。早く結婚したのに、わざわざ30歳過ぎてから、初めて妊活するなんて。しかし、運良く半年経たずに妊娠することができました。
やったことといえば、「ルイボスティー」を飲み続けたということだけ。ただ、丁寧に煮出したルイボスティーを飲み始めたら、生理周期が短くなり、妊娠できるタイミングが増えたのです。
生理周期が整った直接的な原因が、ルイボスティーだったかどうかはわかりませんが、その後そろそろ不妊治療をはじめようと悩んでいた友人にもすすめたら、すぐに妊娠していました。
そういうこともあり、今でも私の中では、ルイボスティーはかなり強力な「妊活アイテム」としてインプットされています。
切迫流産の不安から解放されるまで
生理が1週間遅れた頃から、「なんだか気持ち悪い…」と感じるように。すぐに妊娠検査薬を買ってきて、陽性反応を見たときの喜びは今でも記憶に残っています。
しかし同時に、「切迫流産」の診断が…。微量の出血があったのです。
妊娠5週目で「安静に」との診断。お腹に宿ってくれた赤ちゃんがどうなっちゃうんだろうと、不安で仕方なかったことを覚えています。
フルタイムで働いていた私は職場になんと説明しようか迷いました。でも、そんなことより赤ちゃん優先。すぐに上司に話すことにし、落ち着くまで有給休暇を取ることにしました。
壮絶なつわり&切迫流産からスタート
私の妊娠体験といえば、これ。妊娠5週目からハイスピードで酷くなるつわり体験です。母がつわりが酷かったと聞いていて、「こういうのは遺伝するんだろうなあ」と思っていたら、大当たり…
とにかく、吐く、吐く、水を飲んでも吐く、ないものを吐く、胃液を吐く…壮絶な吐きつわりで1ヶ月で5kg痩せました。
妊娠初期は、他にもいろんなエピソードが。例えば…
鬱っぽくなる
本も読めない、テレビもスマホもパソコンも、気持ち悪くて全然見れない。眠れもしない。一晩中トイレの前でうずくまり、日の出を迎える日々。「廃人だ」。自分で自分のことを本気でそう思っていました。
ベランダでお米を炊く
色んなものの匂いがダメ。特にお米を炊くあの匂いがNG。コードをひっぱってベランダに炊飯器を出してお米を炊いていました。(これはおすすめ!)
なぜか紅茶と食パンだけ食べられる
あらゆるものがダメでしたが、唯一食パンとダージリンティーだけ、口にすることができました。しかもダージリンティーはカフェイン入りじゃないとダメ。ちなみに誰にもイギリスの血は入っていません。私も夫もお腹の子も、お米と緑茶の国の人です。
記憶が飛ぶ
妊娠初期の記憶がほとんどありません。「気持ち悪い」「吐く」「もう妊娠やめたい」こんなことばかり考えていたという記憶しかありません。
点滴を打つ
水分を摂るのもままならないので、産院でしばしば点滴を打ってもらっていました。
安定期に入ってやっとマタニティライフを楽しめる
つわりは長らく続き、安定期に入った頃にやっと治まりました。
つわり中にあんなに気持ち悪かったのに、美味しいものの記憶は消えることはなく。「つわりが終わったらあれ食べたい、これ食べたい」こんなことばかり考えていたので、安定期に食べたごはんの美味しさで、「私ってなんて幸せなんだろう」と感じました。
つい先月まで「廃人だ」と思っていたのに、えらい違いです。
体重も5kg減っていたので、気にせず食べることができました。
切迫早産で自宅安静
楽しいマタニティライフを過ごしていたのですが、どうやら恥骨が開いていて赤ちゃんの頭が下に下がってきていると診断を受け、今度は「切迫早産」に。
骨盤ベルトでぎゅっと締め、自宅で安静にする日々でした。
産休予定より約1ヶ月早かったのですが、「傷病手当」をもらいつつ、早めの産休となりました。
37週1日目で突然の破水!
骨盤ベルトと安静のおかげで、無事37週の正期産を迎えることができました。
正期産に入った翌日、妊婦健診の予定が入っていました。予定通り午前中に健診にいき、内診を受け「まだだねー」と言われて自宅に帰りました。
私もまさかそんなに早くないだろうと呑気に1人でお昼ご飯を食べていたら…
「プチッ」
なんか音がした…?と思ったら、じゅわ〜っと生温かい水が出てきて。はじめてのことでしたが、すぐに「破水だ」とわかりました。
内診が刺激になったのかもしれません。
急いで産院に電話をしたら「今すぐタクシーできて」と。しかし病院は自宅から徒歩3分の場所。タクシーに乗るほどでもないと説明をすると、電話口の助産師さんは困った声で
「う〜ん…じゃあ、何も持たずに、手ぶらでゆーっくり歩いてきて」
と。あとから聞いたら破水後に無駄に動くと、赤ちゃんのへその緒が絡まっちゃうことがあるらしい…。しかし、相変わらず無知な私はそろりそろりと歩いて産院に向かいました。
産院に着いた途端、車椅子に乗せられたときには「3分でもタクシーに乗ればよかった」と後悔したのを覚えています。
突如、助産師さんが子宮口に拳を!
車椅子に乗せられ、陣痛室に着いた後、15時くらいには夫が入院の荷物を持ってやってきてくれました。
しかし、まだ子宮口は全然開いておらず、もちろん陣痛も来ず、痛みも何も感じない。出されたご飯を食べながら夫と談笑をし、妊活中の友達に約束の「赤富士」を描いたりしていました。
助産師さんが来て「破水してるのに、子宮口が開かないのはまずいね」と、突然ゴム手袋をつけ、拳を子宮の入り口にぐりぐり入れてきて無理やり子宮口を開いてくれようとしたのです!!
痛いなんてもんじゃない!!
この後体験する陣痛の10倍くらい痛かった。特に大柄な助産師さんで、拳の大きさも平均よりだいぶ大きい…心の準備もできてなかっただけに、絶叫。
まさかの無理やり子宮口が開かれるとは思いもよらず、おかげさまで…22時頃にやっと陣痛がやって来たのでした。
陣痛4時間→分娩台で4時間いきむ
陣痛は、痛かったけど、その前の子宮口を開かれることの方が断然痛かったので、割と余裕で耐えられました。
痛みは「重ーい生理痛」「かなりお腹を下した感じ」そんな種類の痛みでした。
夫にお尻をテニスボールでぐりぐりしてもらって。あれって本当に効くんですね。その効力に感心する余裕すらありました。そんな時間が約4時間。
そして分娩室に入ったのが午前2時。
その日はたまたま風邪を引いており、そもそもいきむ力があまりありませんでした。
そのせいか何度いきんでも全く出てこない。先生に言われ全力で私の背中を押す夫。夫汗だく。
いきむ度に腰回りの骨が粉々に砕けるんじゃないかという例えようのない痛み。陣痛の100倍は痛い。これは本気で、本気で痛い。
一方「こんな痛みでも人って死なないんだ」「男性にはきっと耐えられないだろうな(優越感)」と妙に冷静になっていた自分もいました。
そんな時間が4時間も続き、先生たちも「どうしようか」となっていたときに、火事場の馬鹿力を出し、なんとかひねりだしました。息子を。
今思うと、私は最初から本気を出してなかっただけなのかもしれません。
産まれた瞬間は、あまりにきつすぎて、感動することさえ忘れ、
「やっと終わった…」
「これはエベレスト登ったな(体力的に)」
「1億円あげるからこの痛みに耐えてって言われてもぜったいやらない」
そんなことばかり考えていました。(でもすぐに忘れて、その4年後第二子も普通分娩で産みました。)
夫も感動を通り越して、ぐったりと体を椅子に預け、ほうけておりました。
母子手帳に書かれた分娩時間は「8時間」。初産にしてはかなり短い。でも分娩室に入ってから4時間もかかったなんて、後にも先にも聞いたことがありません。
そこまで長引いたら「吸引になるんじゃない?」「帝王切開になるんじゃない?」という感じらしいです。(真相はわかりません。)
ちなみにその夜は嵐が来ていました。陣痛室も分娩室も満床で、助産師さんに聞いたら「嵐や満月のときはいつも多いわよ」とのこと。本当だったんだ〜
胎盤取るのが痛いなんて聞いてないよ!
赤ちゃんが産まれ、一息ついていたところで
「はい、じゃあ残った胎盤とるねー」
と先生に言われ、「はーい」と思ってたらこれがとんでもなく痛い。
「なにこれ!き、きいてない!!」
しかもなかなか剥がれにくい胎盤だったらしく、先生がお腹の上に馬乗りになって押し出し引っ張り…めちゃくちゃめちゃくちゃ痛かった。
分娩と同じくらい痛かった…知らなかった…。(でも赤ちゃん産んだときに一緒に出る人も多く、胎盤出すこと自体痛くない人もいるようです。)
でも、でも子育ては楽しい!
出産もほんと辛かったけど、総じて「つわり」より辛いことはありませんでした。
だけど、つわりが酷かったことで、唯一いいことがあります。
それは「子育て」を楽に感じられたこと。つわりより断然楽。どんなに泣かれても全然大丈夫。どんなに癇癪起こされても全然問題ない。
「出産すると女は強くなる」というのは、きっとこういうことなんだろうなあと感じています。
これから思春期とか反抗期とか色々あると思うけど、あのつわりを思い出せば、なんとか乗り越えていけそうな予感がしています。
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