子供のかけがえのない瞬間を記録に残そうと写真を撮るママ、パパは多いのではないでしょうか。
今回お届けするのは、家族の写真を撮るフォトグラファーとして活動する、パパのエッセイです。彼はなぜ家族の写真を撮り続けるのでしょうか?写真には、娘さんへのたくさんの愛情が込められていました。
キミの瞳がボクをパパにする
以前取材を受けた某カメラ雑誌で、娘の写真は、未来の娘へのプレゼントと思っていると、書いたことがある。
それから数年が経っても、その思いは全く変わらない。
7年前に娘が生まれたとき、僕は1台のフィルムカメラを買った。
HASSELBLAD 500C/Mという中判フィルムカメラで、僕の年齢よりも古いカメラだった。当時すでにデジタルカメラに時代が完全に移行していて、妻の反対を押し切って購入したカメラ。
フィルムマガジンにフィルムをどう装填していいか分からず、YouTubeをみて操作方法を知った。
ピント合わせからシャッター速度や絞りもすべてマニュアル式のため、はじめのうちは感光させてしまったり、露出ミスしてしまうことも多々あった。
フィルム1本で12枚しか撮れないため、コストもかかる。
でも、僕はそのカメラの写りにハマり、家族で出かける時はいつも持ち歩いた。
先日、長女が小学校の授業で宝物を持ってきてくださいと担任の先生に言われていたが、何がいいかと悩んでいた。
僕は「大人になってもずっと変わらず大切だと思うものを持っていけば?」と言うと、少し悩んだ後、なぜかおもちゃの化粧セットをカバンに詰め込んだ。
やっぱり女の子の気持ちってさっぱりわからないなと思いながら、部屋の隅の家族アルバムが目に止まり、「パパが撮った家族の写真持っていけば?」と聞くと、長女は「それはパパの宝物でしょ!」と言った後で、「でも、いつか私の宝物になるかもね」と、ようやく生えてきた前歯を見せながら笑った。
娘の写真を撮り始めて7年、自分の写真が少しだけ届いた瞬間。
嬉しかった。
その話を子どもたちが寝静まった後、妻に話すと、「娘に手の平の上でうまく転がされる父親」と笑われてしまった。
たしかにそうかもしれないな。
でも、大人の女性に成長した娘が、色褪せた大量のアルバムの写真を見て、「お父さん、ありがとう」と、涙ながらに言ってくれる。
そんな底抜けに明るい未来を、バカみたいに空想したりしている。
記事提供:川原和之